マランダイの一日一言

フィリピン人の結婚36年目を迎えました、一人娘に子ができて毎日格闘しています。

石原慎太郎氏が亡くなりましたね





私は彼の歯切れの良い言動が大好きでした。
本年2月1日に永眠いたしました。
ご冥福をお祈り申し上げます。


彼は一橋大学在学中に「太陽の季節」と言う小説で文壇に登場すると「芥川賞」を受賞する。 
私の父はしがない小説書きで、父の部屋にはこの小説を含め本棚には本がぎっしり並んでいて、私が中一になった頃から見つからない様に隠れて本棚から持ってきて盗み読みしていました。


友達が少年漫画を読んでいた時には私は父の所蔵してある小説を読んでいました。
父は分かっていた様ですが何も言いませんでした。
ある時父が「これ読んでみ」と手渡してくれたのが「司馬遼太郎全集」でした面白くて夢中でよみました。特に「坂の上の雲」、「翔ぶが如く」、「竜馬が行く」などはワクワクして
読みました。


そして、慎太郎が新書を出す度父が買って来て見せてくれました。
従って私は漫画雑誌は一度も買った事がありません。
駅の近くに古本屋があって父もその店はよく行っていた様で、私も小遣いを貰うと単行本の小説を買って読んでいました。  


慎太郎氏は30代に参議院全国区で300万票と言う票を獲得して当選しました。
その後衆議院に鞍替えして、福田政権で環境庁長官で初入閣すると、同じ志を持つ同士を募り「青嵐会」を結成して益々発言が注目を集めます。
特に中国を「支那」と呼称して党から叱責を受けますが、一切意に介さず、その呼称を使い続けていました。


その後もソニーの会長の盛田氏との共著「NOと言える日本」と言う本をだしてアメリカにも煙たげられます。
そして派閥を組織してい総裁選にも出馬するも大差で敗退すると、間も無く衆議員を辞職、2年後の東京都知事選に出馬すると見事当選しました。



その後の活躍は二度目の都知事ではジーゼル車の廃止をやり遂げ、2度目の東京オリンピックを招致しています。


彼の反逆の人生には共感を受ける1人です。



お疲れさまでした。


御冥福をお祈り申し上げます。   合掌!

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