マランダイの一日一言

フィリピン人の結婚36年目を迎えました、一人娘に子ができて毎日格闘しています。

マリキナ滞在5日目

マリキナに滞在5日目を迎えました。


妻の親戚の「アレックス」と言う28歳のおとこですが、この人物は私達がプチ移住した時から

同居して暮らしていたのですが、今度の滞在の全てを面倒見てくれています。

掃除洗濯、料理、と動きぱなしで支えてくれています。


夜中私がちょっと起きると「コーヒー?、何か食べる?」と直ぐに寄って来て効いてくれます。

アイパッドの充電とか全てやってくれてくれます。

いつ寝ているのかと聞きたいくらいです。


私を「パパ」と呼んでいます。この男は芯から私達の息子にしようと思った時期がありましたが、実母の

了解が得られなかった事で断念したのですが、実の息子の様に思っています。

私がホテル宿泊していた時には必ずどう熟して長女の世話をしてくれてていました。

私も実の子供と思っています。


初めて会ったのは彼が7歳くらいだったと思います。

私達が泊まるホテルには必ず居ました。

ある年のクリスマスの時に、花火の火薬を両手で集めたのを忘れて、別の花火に火をつけた際に右手に

火傷をしてしまいました。

クリスマスなので病院を探すのが大変だった事を思い出してしまいます。


娘とは実の兄妹の様に、娘も「クヤ、クヤ」と慕って居ました。

それは今も変わらず、娘は慕って居ます。

本当に良く面倒を見てくれました。

今も献身的に尽くしてくれて居ます。有難いと事で感謝して居ます。


今回も私達の面倒を一生懸命で見てくれて居ます。

今は中古バイクの買取をして販売して生計を立てて居ます。

一度日本に呼んだ事があるのですが義母と一緒に成田からタクシーで我が家に突然来た事があります。

私達に何も知らせず現れて驚いた事もあります。

 

その義母も今は亡く、フィリピンきて2日目に花束を持って墓参りして来ました。

その時の葬儀は5月1日で真夏の真っ盛りで、汗だくで実家から徒歩で付いて行ったのですが、

熱中症になって倒れたのでした。


義母は56歳で亡くなったのですが、脳溢血で倒れても何日も子供達が「もう直ぐ娘がと帰る」と、

耳元で言うとその度に意識を取り戻したそうです。

余程義母はむすめにあいたかつたのでしよう。

丁度ゆ娘のパスポートが切れて居て入管にお願いして現地の病院からファックスで診断書を送って貰い

3日でパスポートが貰えてフィリピンに来たのですが間に合わなかったのです。


当時の事を思い出すと、兎に角夏真っ盛りで37度もの暑さでたいへんでした。

その前にお墓がなかったので急いで探し手続きをしたのですがやっと間に合ってホッとしましたね。


あれから二十数年経ちました。


墓前に花を手向けて手を合わせて来ました。





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